ハングル検定3級の勉強法
※2016年11月の検定で合格しました!
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ハングル検定3級を受けます。
韓国語はずーっと勉強しています。お休み期間もあったけど。
試験に受かっといた方が人に言うとき便利だなーと思ったので受験することにしました。受験級決定に際して、4級の問題を解いてみたら簡単だったので3級に申し込みました。
・・・間違いでした。
知らない単語が多すぎて、過去問を見て撃沈。
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という訳で対策用問題集(¥1600)を購入。
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合計¥8600 チーン
韓国語学習者の中で有名なブロガーのhimeさんが「辞書にふせんをはる」という学習をされていて、それをまねしたのがきっかけでなんでもかんでもふせんパラダイスです。勉強した気になれて良いです。
試験の勉強方法は簡単です。
1.最初は答えを見ながらでもいいからどんどん解きます。
中学生や高校生のころは分からないものを徹底的に自力で調べていました。でも、はなっから知らないものを延々と考えたり調べたりしてもあまり効果がなく、時間がかかるだけな気がします。
2.次に知らなかった単語や表現をふせんに抜き出してべたべた貼ります。
覚えようと意識しながら抜き出します。ただの作業になったら意味がないです。
3.それが終わったらもう一度解いてみます。
それでもまだあやふやな部分は分類して整理します。
例)「副詞」「慣用表現」「語尾」など
4.飽きるので違うことに手を出します。
普段使っている別の問題集に戻ったり、k-popの歌詞で語彙を増やしたりしています。
こんな感じで勉強したら、3級の模擬試験がだいぶ解けるようになりました。やったね!
韓国で宗教っぽいものにつかまった話
学生の頃、韓国に短期留学しました。
2週間ほどのプログラムで、午前は大学で日本人教授による韓国全般についての講義、午後は観光といったものでした。
休日は自由だったので、地下鉄でいろんなところに行って遊んでいました。
最終日前日の夕方、「弘大」(ホンデ。弘益大学の略)という学生街を歩いていた時のこと。
私と同じくらいの年頃の女の子に声をかけられました。なにやら、自分のところに来いと説得してきます。
どこかに連れて行かれるなんて日本でも危ないのに、ましてや見知らぬ土地。何が起こるか分からないから絶対に行くものか!と思い、言葉が分からないふりをして適当に聞き流し、さらに「あなたは何者?」「何がしたいの?」と初歩的なことを聞き返す。
でも彼女は引かなかった。「とってもいいところなの!」「私を信じて!」と言います。
路上で数分間会話?した後、私はついに根負けして付いていくことにしました。
彼女の眼を見ると、これは純粋だな、と思ったからです。
彼女に連れられて入った部屋の中には、リビングのようなところでくつろいで座っている若い男女が数名。
テーブルの前に座ると、まず英語対応のお姉さんが付いて私に説明を始めます。
でも英語がいまいち分からずピンとこない顔をしていると、今度は別のお姉さんに代わって今度は韓国語で説明が始まります。
もうほとんど覚えてないけど、ざっくり説明すると「私たちは前世からのカルマを抱えている。それを解消し、幸せになるために活動している。具体的には、神様(?)にお供え物をして、牧師(的な人?)にお祈りをしてもらい、儀式をすることだ」といった感じでした。
もうここまで来たら逃れられないし、別に高いものを買わされるとかじゃないから、話のネタにでも受けていこうと決めました。
まずチマチョゴリ(韓国の伝統服)に着替え、暗い部屋に通される。
そこには同じくチマチョゴリを着た案内役のようなお姉さんと、白いパジチョゴリ(同じく伝統服)を着た牧師のような男性がいました。
儀式の中身は、お姉さんがお経のようなものを読み、牧師さんに指示されてクンジョル(土下座のようなあいさつ)を右にずれたり左にずれたりしながら何度もするというものだった。正直、こんなんでカルマが解消されて幸せになるのか?と疑問に思いました。
おもしろかったのが、お姉さんの読むお経のようなものが時々「う○ち~う○ち~」と聞こえることでした。
儀式が終わって最初の部屋に戻ると、ペットボトルの水を渡され、今後の指示をされました。
「この水を3日間に分けて飲んでください。そして、今日ここで経験した出来事は40日間、誰にもしゃべってはいけません。」と。
私はその指示をなぜか忠実に守りました。
見知らぬ土地で見知らぬ人に付いていくのは少々危険ですが、誰にも負けない貴重な体験ができました。
誰かにイライラした時は
「人のふり見て我がふり直せ」
とはよくいったもんだなぁと思う。
誰かにイライラした時、
よーく考えると自分自身にその要素がある。
そのことを昔フロイトが投影と言ったことは有名だけど
メカニズムはよくわからないし誰が何と言おうと構わない。
でも、一つ納得いかないことがあって。
何年か前にある人にイラっとして、
その時からだいぶ意識して直すようにしてきた要素に対して、
最近またイラっとするようになった。
(そういう要素を持った人が身近に現れた)
もう十分気をつけてるつもりだけどまだだめなの?ってうんざり。
だけど、この記事を見てもやもやが晴れた。
「なぜその人が、そんなにイヤなのか?」
http://blog.blwisdom.com/uemura/201501/article_4.html
“表面ではどんなに周りに気づかっていたとしても、心のなかでは
「自分勝手にしたい(自由にしたい)もう一人の自分」がいるのです。
それを「そうしてはいけない!」「そういう自分が嫌だ!」
と思うから封じ込めてあるのです。
こういうのを心理学では抑圧といいます。
そして抑圧されたその影の自分を、他人に投影するから、
「どうしてもその人がイヤ!」という強い感情になるのです。”
つまり、これ以上直そうとすると余計に抑圧することになり、逆効果なのかもしれない。
大事なのは、そういう負の側面を持った自分を受け入れ、赦すこと。
言うほど簡単じゃあないと思うけど、やってみよう。